森を見て木を見よう

心・感情

森を見て木を見よう–あれかこれかではないアプローチ

2014/05/06

「木を見て森を見ない」というのは、近視眼的な物の見方をしている時に、よくいわれることわざです。
全体像や、もっと大事なことを見ずに、小さなことにこだわりすぎている状態です。

しかし、この記事のタイトルは「森を見て木を見よう」。
これにはわけがあります。

日常生活での問題でも、また自分の精神を向上させようと、スピリチュアルなものに目を向けるときも、「木を見るか、森を見るか」のどちらかに偏りすぎず、「木も森も見る」ということが大切に感じるのです。

人生は、悩みの連続です。壁に突き当たった時には、その悩みのことを考え続けます。
そのような時に、「人生にはそういうこともあるよ」という言葉を聞いたら、「そうだな。みんな一度は通る道なのかも」とほっとするかもしれません。小さな悩みだったら、この一言を聞いて、悩みを悩みと感じなくなることもあるでしょう。しかし悩みが大きかったら、少し時がたつとその言葉の効力は薄れ、「確かにそれはわかっているのだけれども、悩みはやはり変わらない」と思うかもしれません。

ここでどのようなことが起こっているのでしょうか。
「人生にはそういうこともある」と聞くと、悩み中心の思考から少し”ズームアウト”します。
視点の絞りがきつかったのがゆるんできて、広範囲にものが見えてきます。少し自分のまわりの風景を見る余裕が出てきます。

これは大変よいことです。
新鮮な視点は新鮮な考え方や感じ方をもたらしてくれることもあります。

でも多くの場合、悩み自体はあまり変わりませんし、心のパターンも同じです。

生死の境目で生きている人のことを考えれば、自分の悩みが多少小さく見えるかもしれません。
しかしそれでも悩みは存在するわけで、解決したいと思うのが自然な心の流れでしょう。

そうすると、少し実際の問題をくわしく見ていくことが必要になります。
ここでまた”ズームイン”するのです。”森”を見て、広い視野を感じ、心に余裕を得てから、また”木”を見るわけです。

何が実際にできるか考えてみましょう。
批判的な厳しい目ではなく、客観的で、暖かいまなざしで。
できたらそこに自分の創造力を働かせて、オープンな気持ちで見つめてみましょう。

近視眼的になっていると、解決方法がすぐそこにあっても気づかないことがあります。
そこで、広い視野からの知恵を生かし、眺め、観察するのです。
これが心理療法で養っていく「洞察力」の第一歩です。

一般にスピリチュアルなものの見方は、「森」的な見方です。
しかし、ここにも「森の中で迷子になる」可能性があります。

つまり自分の心理的問題や現実を否定したり、見ようとしないことです。
いわば「森を見て、木を見ない」状態です。
森の知恵が完全に消化され、現実に根づいていないからです。

反対に自分の悩みや、現実問題としてあらわれた心のパターンを変え、浄化すると、それ自体がスピリチュアルな道への扉になったり、広大な「森」の中での道しるべになることもあります。

森を見て木を見る、ズームイン、ズームアウトという遠近両方の視野を持つことは、容易ではありません。
しかし、精神的にも実生活の上でも、大変実りの多いものです。

森の中に木はあり、木があって初めて森になります。
白黒で片方を否定せず、両方をバランスよく保てるとよいですね。

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プロフィール
羽鳥美香
羽鳥美香
カウンセリング心理学修士号、アメリカ、カリフォルニア州のサイコセラピスト(心理療法士)免許(MFT)を持つ。オンライン(スカイプ・メール)/電話をメインとしたセラピー、コンサルテーションを行っている。
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