自分の主導権を握ること、これは私たちにとってとても大事なことではないかと思います。
どんな時にも、「やらされている感」があると、生き生きとしません。自分の意思とあまりにも違うことをしていると、自分、という感覚が薄くなってしまいます。そうすると、私たちは感情的にも不安定になるし、気持ちも落ち込みます。
まず自分の気持ちを知ること
自分の主導権を取るには、まず自分が何を考えているのか、どんな気持ちなのか、感じ取ることから始めるのが良いと思います。よく、自分の気持ちがわからない、という悩みがありますが、それはわからない性格なのではなく、何かが気持ちを感じることを阻害しているだけです。
何かというのは、たいていが心理的ブロックです。「感じてはいけない」という禁止がどこかにあるということです。なにかしら感情を感じてはいけない、というような状況に置かれことがあったのでしょう。まず、観察することで自分がわかってきます。
例えば、「これは仕方ないのだから」と自分の意見、感情を抑圧し、ないかのように扱っていくと、心の中にそのような処理パターンができてしまいます。そうすると、今まで言えなかったこと、気持ちはどんどん心の無意識の領域(心の見えていない部分)でふくれあがっていきます。
もちろん、人生の中では、感情がオフになる場面もあります。例えば、あまりに恐ろしいことに遭遇した後には、心の防衛作用で、その事柄に対する気持ちにアクセスを拒むこともあります。感情の大きさに対処できないように感じるからです。しかし、これをそのままにしておくと、処理されない感情が緊張や不安の反応をつくりがちです。
自分の心の中で何が起こっているのか知ることも「主導権」を握ること
主導権というのは、自分の意見をごり押しする、ということではありません。「いろいろな感情、気持ちがあるのをしっかり把握し、その場その場でよい選択をする」ということです。その時の感情に流されるのではなく、様々な要素を見据え、自分の心のリーダーになるということです。
自分の心がわかるようになってくると、「自分はこんな心理だったから、こういう行動をしていたのか」ということがはっきりわかってきます。すると、それまでの間、惰性と衝動で物事をこなしていたのに気づき、びっくりすこともあるかもしれません。
多くの場合、私たちは心理的要因に突き動かされるようにして、行動しています。そして、自分をよく知る前は、なんとなく機械的な感じで行動したり、物事を決定しています。つまり、それまでの条件づけや、トラウマの反応の集大成から、世界を見て、感じたり、選択したりしているのです。
自分の意見と思っていたことが、他人の影響だったり、好きだからやっていたと思えば、実際には自分の心の苦しみを見ないようにするためだった、などの気づきがあることもあります。
自分をよりどころにする
主導権とは自分を信じることであり、自分の責任をとることでもあります。このように自分の心を持っていくと、心にパワーが戻ってきます。そして、自分を信じることが、相手にも相手の主導権を認める、つまりまわりへのリスペクトにもつながります。
表面的には、社会的な上下関係はあっても、心持ちは、自分の上にも下にも人を置かない、ということになります。つまり、状況としては自分の上に来る人がいたとしても、自分の心の責任をとって行動していれば、主導権をとることになるのです。そうすることによって、社会的な制約に心が縛られないことになり、心が自由となります。